漢方医の工場見学記〜株式会社ツムラ・茨城工場〜

漢方医の工場見学記〜株式会社ツムラ・茨城工場〜

ツムラ茨城工場にやってきました。牛久大仏の大きな後ろ姿とツムラの工場が一枚の写真に収まります。ほぼ400メートル四方の敷地に工場と研究所があります。研究所に約300人、工場に約500人が働いています。工場は24時間3交代で操業です。

薬剤師の中山今日子先生と一緒に訪問してきました。

株式会社ツムラ


株式会社ツムラが扱う128漢方品目のうち、40品目を茨城工場で、そして88品目を静岡工場で製造しています。つまり両工場でだぶって製造しているものはありません。茨城工場では主力品目を製造しているので、製造量に関しては茨城工場は静岡工場の約2倍だそうです。

3つのラインでそれぞれ別の漢方薬を製造し、数日間連日フル稼働した後、ラインを10時間以上かけて洗浄し、また別の漢方薬を製造するそうです。500キログラムの生薬を6トンの水に入れて煮出し、そして濃縮しパウダー状にします。その後大きな錠剤を作成し、それを粉砕し、賦形剤(ふけいざい)で形を整え、充填(じゅうてん)、梱包して出荷です。工場内は撮影禁止にて、概観のみを写真撮影しました。

薬草園は2月にて見物しませんでした。漢方記念館の2回からの薬草園の写真を載せます。

次回は、花の綺麗な5月か6月に訪れたいものです。漢方記念館は見応えがあります。見学の前に、スライドとDVDで説明を受け、1階と2階を見学です。たくさんの生薬も陳列されていますが、僕は歴史が好きなので、陳列してある古典に興味が湧きました。医心方もありましたが、もちろん写本で本物は国宝です。医心方は妊婦が胎児を身ごもった後の毎月ごとの絵でした。超音波検査などできない時代に毎月の胎児の状態をどうやって把握したのかが、妙に気になりました。たくさんの古典もありました。江戸時代の本には何冊か原本がありました。紙と印刷技術が普及したあとの書物です。傷寒論の写本もありましたが、原本ではありません。原本は実はどこにも存在しないのです。傷寒論が出来たと言われる約1800年前には、紙は普及していませんし、そして印刷技術もありません。傷寒論の時代は木や竹に漆や炭で記載したのです。木簡とか竹簡と呼びます。そんな傷寒論の原本は存在しません。傷寒論の写本で一番古いものは約400年前と思っています。そんな目線で並んでいる古典を見ると面白いのです。

例えば、腹診の名著と呼ばれる腹証奇覧がありました。そして腹証奇覧を題材にしたポスターもありました。以前から思っていたように、腹証奇覧の図はすべてが座っています。昔は腹診を座ってやっていたのか、今のように寝てやっていたのか、それともやっていなかったのか、などが気になるのです。

そんな楽しい時間を薬剤師の中山今日子先生と過ごしました。

中山先生の工場見学記はこちら:薬剤師の工場見学記〜ツムラ株式会社・茨城工場〜

過去の工場見学シリーズはこちら:漢方医の工場見学記〜ウチダ和漢薬・新潟工場〜