なぜ漢方医になったのか〜師匠・松田邦夫先生の講義に参加して【西洋医×漢方医のコラム】

なぜ漢方医になったのか〜師匠・松田邦夫先生の講義に参加して【西洋医×漢方医のコラム】

昨日は、四谷で19時から松田邦夫先生の講義に参加してきました。「症例から学ぶ臨床漢方、古典を参考として」というテーマです。

松田邦夫先生を師と仰いで毎週教えて頂くようになって、早くも10数年が経過しました。僕が上梓した漢方の30冊近い書籍にはほぼすべて松田邦夫先生の巻頭言があります。過分で恐縮なことです。

1998年にオックスフォードから帰国し、セカンドオピニオン外来を本邦の大学病院としては最初に始め、日本中から患者さんが集まりました。お1人1時間お話しを聴いて、週に10人前後の患者さんの相談に乗っていたのです。懐かしい日々です。(セカンドオピニオンはその後、日本中に普及し、僕の役割は終わりました。)

日本の医療の素晴らしさを体感し、9割近い患者さんが正しい治療をされていながら、実は満足していないのです。そして心配事があるので、セカンドオピニオン外来を受診するのです。西洋医学では異常がないと言われていたり、西洋医学では病気ではないと言われていたり、西洋医学ではこれ以上は治らないと言われていたりと様々です。

「でも、仕方ないよね。施されている治療は間違っていないですよ」と説明を繰り返していました。そんな時に「先生、聴いてばかりいないで、治してください!」と懇願されたのです。そこで辿り着いたひとつの選択肢が漢方でした。言葉を換えると漢方以外に、西洋医学以外の治療で、本邦にて保険診療で行えるものはなかったのです。つまり僕が漢方を選んだのは必然だったのです。

そして、自分に効いて、家族に効いて、そして自分の周囲のパラメディカルの人達にも効きました。「漢方は胡散臭いと思っていたけど、結構効くのだな!」というのが僕の率直な印象でした。凝り性な僕は、ハマるとひたすら勉強を始めます。

たくさんの書籍を読み、たくさんの講演会に出席して、そしてひたすら漢方を勉強しました。しかし、なぜか腑に落ちた感がありませんでした。オックスフォードでサイエンティストとして過ごした5年間が僕を論理的思考の塊に仕上げていたのです。つまり、整合性が合わないことを言われると納得できず腹が立ちます。仮想病理概念をあたかも実存するように、当然のように語られると抵抗感が沸き上がります。そんな思いを消しながら聴講するのはほぼ限界かと思っていました。そんな時に松田邦夫先生の講義を拝聴しました。松田邦夫先生の講義には、ほぼほぼ仮想病理概念は登場せず、ただただ症状と有効であった漢方薬の説明でした。そこにもちろん古典も登場します。しかし、仮想病理概念は登場しません。そんな聴いていて心地よい講義に一目惚れして、陪席(傍らに座って見学する)を申し込みました。運良く、金曜日の午前中の先生が陪席を終了したので、お越し下さいとの御返事でした。

そして、最初に松田邦夫先生の外来にお邪魔した時のことを、いまでも鮮明に覚えています。なんと松田邦夫先生は「漢方だけでは治らない」と僕に言い放ちました。漢方を学びに来た僕に、カウンターパンチです。とても新鮮でした。そして運動を強く勧められたのです。当時は24時間救急手術に備える立場でしたので、運動はまったくできませんでした。しかし数年後に緊急手術を心臓外科が行う態勢に変更となり、僕は10年以上行った常時オンコールの状態から解放されました。

さて、凝り性の僕です。早速、松田邦夫先生のお勧めに従い、トレーナーについて筋肉トレーニングを始めました。そして松田邦夫先生のお勧めに従い水泳を始めました。またジムでのランニングも開始しました。そして金槌の50歳親爺が、2年後にオリンピックの距離のトライアスロンを完走しました。その翌年には日本で一番長いトライアスロンを14時間ちょっとで完走しました。

当時は、松田邦夫先生の師匠である大塚敬節先生が言われたように、「白紙になって漢方に取り組め!」を実践していました。そこで、大学人の僕は、漢方診療の重要性を確かめる臨床研究を行いたかったのです。そのためにはコントロール群が必要です。そこで漢方診療なしに、症状や訴えから一番処方頻度が高い漢方薬を並べることを始めました。松田邦夫先生の外来を見ながら、松田邦夫先生の書籍を参考にしながら、松田邦夫先生の講義を交えて、創り上げていったのです。するとほぼほぼ出来上がったときには9割は漢方診療をしてもしなくても同じ処方でした。

そして、ある日、松田邦夫先生が衝撃の発言をされました。「僕は大塚敬節先生の外来に陪席してある程度日が経ったら、処方する漢方薬がすべて当たった」と言うものでした。陪席は漢方診療をできません。つまり、漢方診療なしで大塚敬節先生の処方が当てられたのです。そこで書籍化したものが、『フローチャート漢方薬』です。松田邦夫先生の外来を徹底的にパクって(TTPして)の処方集です。間違いはありません。現在まで大きな修正なく、『フローチャート漢方薬』は西洋医の先生方、薬剤師の先生方に愛用されています。

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そんな松田邦夫先生の講義です。最近は数が減りました。最近の陪席時には、「そろそろ講演は止めようとも思っている」と吐露されることもあります。是非とも続けて頂きたいと思っています。僕は、昔は札幌や仙台などにも松田邦夫先生の講演を聴くためにだけ日帰りしました。そして、聴講しに行くよりも、自分の大学で講義をしていただこうと思い立ち、6年間に渡って、65回の講義をお願いしました。本当に勉強になりました。

漢方診療を行わないフローチャート的治療を否定する松田邦夫先生のお弟子さんも少なくありません。そんなお弟子さんが、「フローチャート的に処方されると、私たちが勉強している意味がなくなる!」と直訴したそうです。松田邦夫先生は、「いろいろな立ち位置があっていいのではないですか?」と御返事されたそうです。そんな姿勢が素晴らしいですね。僕は多様性が大好きです。もしも結果がほぼほぼ同じであれば、勉強期間は短い方がいいと思っています。ほんのちょっとの差を極めるために膨大な時間を使うことも格好いいでしょう。一方でその節約された時間を他のことに当てるのも悪くありません。いろいろでいいではないですか。多様性でいいではないですか。

松田邦夫先生は永く高松宮ご夫妻の主治医でした。松田邦夫先生のお父上の松田権六翁は東京芸術大学の教授を永くされ、その後人間国宝になりました。松田権六翁の友人は田口健二郎先生で昭和天皇の主治医でした。田口健二郎先生のご子息の田口喜国さんは松田権六宅に書生として住み込み、後に人間国宝になりました。松田権六翁のご子息の松田邦夫先生は田口健二郎先生と同じく漢方の名医になりました。

そんな素晴らしい松田邦夫先生の講義を久しぶりに拝聴しました。今朝は松田邦夫先生の陪席でした。僕は運と縁だけで生き抜いています。松田邦夫先生との巡り会いもご縁の賜です。